僕の人生を大きく変えることになる、2015年の年が開けた。

母に関する大きな決断を下した後、2015年1月27日、僕は成田空港からロサンゼルスへと飛び立った。

目的は、イヴァナ・チャバック・スタジオに2ヶ月間滞在し、ティーチャー・トレーニングを受け、認定講師の資格を取ることだった。

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教師には絶対になりたくない!

考えてみれば、不思議なものだ。前も書いたことだが、僕の中には、教師になりたい、教えたい、という欲求は全くなかった。

それは、僕の過去のトラウマと結びついていたからだ。

僕は教師になることは絶対に嫌だと思っていたし、自分に教えることができる、という感覚がなかった。

そのトラウマは中学時代に遡る。

僕が当時住んでいたのは北九州市の門司区という場所で、当時は、ヤンキー全盛の時代だった。この3年間は僕の中では暗黒の時代という意識がずっと強かった。ヤンキーたちが跋扈する環境の中、先生というものの権威が全く感じられなかったのだ。ヤンキー達がやりたい放題をやる、という印象が非常に強い。

もちろん全ての先生が生徒から舐められていたわけではない。しかし、舐められた場合、教室の中の不良たちはコントロール不能だった。授業中に弁当を食べたり、漫画を読んだり、堂々と寝たり、とやりたい放題だった。

僕は、ヤンキーがやりたい放題にやっているのを見るのも嫌だったが、そんなヤンキー達をコントロールできない先生たちを見るのも嫌だった。

生徒たちに向き合えない先生は、舐められ続けるという状態が3年間続くのだ。そんな先生たちの授業は悲惨だった。そして今思うと、そんな先生たちは、ある意味、僕自身でもあった。僕はそんな先生たちと自分を同一視していた。

なぜそんな風になってしまったのか?

僕自身、小学校5年の時に北九州という土地に転校してくるまでは、自分がリーダー的存在であることが当たり前だと思っていた。自分はそうあるべきだ、とも思っていた。僕自身、みんなから信頼されているから、そうなるのが当たり前だ、とも思っていた。つまりセルフ・イメージが高かったのだ。

ところが、転校した新しい環境では、暴力が人間関係を決定していた。力が支配していた。

クラスメートたちが、番長によって毎日のように殴られ、泣かされていた。僕はそれが嫌だった。優しい人間が暴力で虐げられているのを見るのが嫌だった。僕の中にはそれを許せないと思う正義感があった。

ところが、ある日、僕自身が番長に一発殴られた時、ものすごい恐怖心に襲われた。自分の中の正義を表現できず、暴力に屈服してしまった。

僕の中で一番大切な部分が死んでしまった瞬間だった。

ずだぼろのセルフ・イメージの日々・・・

そこから中学が終わるまでの4年間は、僕自身の本質が押し殺された暗黒の時代になってしまったのだ。

小学校が中学校になると、暴力支配の状況は更に悪化し、力が強いものがますますやりたい放題だった。僕は、そんな環境を心の中で嫌悪しながら、暴力に立ち向かうことはできなかった。

だから、ヤンキーに立ち向かえない教師=自分自身だった。自己嫌悪もどんどん酷くなっていったが、教師という職業に対する嫌悪感も大きくなっていった。

そんな経験から僕は、教師というのは最悪な職業だな、という思いを抱くようになっていった。

僕にとってこの時代はまさに暗黒そのもので、自分を殺し、自分を否定し続けた数年間であり、このまま人生を続けていくのは無理だ、と思いさえする時代だった。

僕は高校3年の時にアメリカに留学するのだが、その時に、この暗黒時代の記憶を一旦なかったことにしようと決めたくらいだ。

実際、僕は意図的に小学校5年から中学校3年間の記憶を無理やり封じ込めた。僕の過去を誰も知らないアメリカで新しい自分を再生するために、自分の中で負の記憶をなかったものにしようと、無理やり封じ込めたのだ。

実は、このあたりの記憶を言語化できるようになったのは、ごく最近のことだ。

イヴァナのワークでもそうだが、人生を好転させるためには、どうしても自分の人生のダークな部分に切り込む必要がある。僕自身、この中学時代の記憶をほぼ失っていたのだが、そこを直視しないと、失った力(パワー)を取り戻すことができない、という真実に気づかされ、少しずつ真実に直面してきた。

これは今でも進行中のプロセスではあるが、記憶も少しずつ戻ってきている。

過去は変えることができない、とよく言われるが、そんなことはない。過去の記憶の中に含まれる解釈を変えることで、自分の過去を変えることができる。

ということは、過去を変えることで、今も、未来も、変えることが出来る、ということを僕は学んできた。

ゴールがあるから、大きな障害を乗り越えることができる!

当時、教えることに対する大きな恐れは相変わらずあった。それでも僕はこの時、イヴァナが与えてくれた、このティーチャー・トレーニングというチャンスを逃すことはできない、と思った。

なぜそう思ったのかというと、この年の後半に開催するイヴァナの初来日イベントを成功させる、という大きなゴールがあったからだ。

僕がティーチャーの資格を取ることで、イヴァナのテクニックの理解が深まる。2ヶ月も集中的にイヴァナのスタジオで時間を過ごすことで、イヴァナのクラスで行われていることを、集中して肌で体感することができる。

主催者として、イヴァナの価値を日本に伝えなければいけない身としては、この価値は大きかった。そのメリットが、恐れからくるデメリットを凌駕していた。しかも、俳優としてもイヴァナの前で何度も演じるチャンスが得られる。

このチャンスを絶対に活かさない手はない、と思ったのだ。

そんな心理的な経緯を経て、僕のティーチャー・トレーニングは始まった。

そんな僕とは対象的に「ぜひ教えたい」、という意識で登場したのが、現チャバックジャパン主催の高橋一哲氏である。