ついに、イヴァナ・チャバックと会う事になった。

突然一方的にメールを送って、まさかすぐに返事が戻ってくると思ってもみなかった僕は、この新たな展開にワクワクを抑えきれなかった。

この時の僕の状況を手短に話しておこう。

僕は、ずっと個人事業主としてやってきたが、あるきっかけで、 ハリウッドと日本をつなげる、ということをテーマに起業したばかりだった。

そのきっかけのことはまた書こうと思うが、何はともあれ、起業を支援するために政府が補助金を出すという流れに乗り、僕は「ハリウッドと日本を繋げる」というビジョンを実現するため イン・ザ・ヴォルテックスという会社を作ったばかりだった。

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夢の実現にむけて

もともと、僕の目的は、自分が俳優としてハリウッドで活躍することだった。

世の中的に言えば、当時すでに40代後半になっていた僕が、その目的を目指すのは、この時点で遅過ぎる、と言われるだろう。 だが、それでも僕の中にあった炎は死んでいなかった。

もともと世界と日本の架け橋になることが、自分の使命だと感じていた。

だから、可能性がゼロでなければ、ハリウッドで活躍する夢を追いかけようと思った。

創業当時、僕は数回、ロスと行き来をしていたのだが、向こうでは基本、ロスで活動中の日本人俳優と会うことを主たる目的としていた。

LAには思った以上の数の日本人俳優が活動していた。活躍していると思える人の数は少ないと感じたが、活動している人の数は非常に多かった。

僕は人の紹介を頼りに、かなりの人数の俳優と知り合っていった。

そして起業を契機に、妹にも協力を頼んだ。

妹のまり子は、20年以上アメリカ在中で、ずっとニューヨークに住んでいたので、起業をきっかけにロスに行くにあたり、一緒に仕事をしていける可能性があると思い、 僕が行くときに手伝ってもらえないか、と声をかけた。

僕はもともとフットワークが軽い方とは言えず、応援にかけつけた妹からは、あまりにも スカスカな僕のスケジュールを見て「私だったら、日本から全部アポを入れてから来るね」などと厳しい指摘を受けたりもした(苦笑)

出張中に俳優以外にもLAで会ったのは、演技コーチや、映画祭のプロデューサー、アニメ映画の声優、起業家、弁護士、パブリシストなど、様々な人たちだった。

そういった人たちと会っていく中で、日本人としてここでやっていくことの重みというものを何となく感じとっていた。

そんな中で突然出た、イヴァナ・チャバックとのミーティングのゴーサインだった。

明らかに今まで会ってきた人たちの中で、一番の大物だった。

イヴァナとのファーストコンタクト

約束したレストランに時間通りに妹と2人で行った。

行ったところ、また先方は来ていないみたいだった。 アメリカ人なので、日本人ほど時間に厳しくないのかもな、と思い、2人でテーブルを取ってイヴァナ・チャバックの到着を待った。

後からわかったのだが、実はイヴァナはもうレストランに来ていて、 僕たちから、たまたま見えないところに座っていたのだった。

ワークショップの参加者や、イヴァナを個人的に知る人はよく知っていると思うが、イヴァナは、基本、時間に非常に正確な人だ。 その日も、約束の時間の前から、僕たちを待っていてくれたのだった。

初めて会った時、イヴァナ・チャバックと同席している人物がいた。 ヤン・フィッシャーというロシア人だった。

彼は、映画プロデューサーで、イヴァナのロシア進出を支援していた人物で、当時は、イヴァナのマネージャー的な役割だった。

ヤンとイヴァナは、僕たちを歓迎してくれた。

初めて会ったイヴァナ・イヴァナチャバックの印象は、今と変わらず、力強い、という感じで、いかにも敏腕コーチだった。だけど、本当に丁寧に、そして優しく接してくれた。

僕にしてみれば、ハリウッドの中枢にいるイヴァナ・チャバックが、僕のような、どこの馬の骨ともわからない人間にメールだけでいきなり会ってくれて、 優しく接してくれる事自体が驚きだった。

僕よりも社交的な妹も、積極的にイヴァナ、ヤンとの会話に加わり、話し合いは非常に和やかに進んだ。

話を聞くと、イヴァナは、自分のテクニックを海外に伝えることに、非常に積極的であることがわかった。マネージャーのヤンは、イヴァナのロシア進出を支援しており、すでに数多くのヨーロッパ諸国に、イヴァナのテクニックは入っていた。

イヴァナの視野には当然、アジアも入っていた。

フィリピンにはすでに認定講師もおり、またイヴァナ本人もワークショップで訪れていることを知った。だが、フィリピンは日本と違い、イヴァナが行きやすい理由があった。

基本、英語が公用語であることだ。

英語が母国語でない国に入るのは、それほど簡単ではない、そう言われた。

イヴァナの教えが全て詰め込まれた著書、「Power of the Actor」は教科書であり、その国の母国語に翻訳された本が出ていない限り、その国には行けない、と力説された。

ただ僕にとっては、千載一遇のチャンスだった。

ハリウッドと日本をつなぐために起業した僕は、まさに、こういうチャンスを求めていたのだから。

イヴァナの話を聞いているうちに、僕の中からやる気が湧いてくるのを感じた。

「僕にやらせて欲しい!」

そういう想いが、自然に湧き出てきた。

偶然ではなかった出会い

この時のミーティングで聞いた印象深い話がある。

実は僕のメールがイヴァナに届いた時、偶然にも、ある日本人女性が イヴァナのスタジオを見学していた、ということだった。

そして何とその人も、イヴァナの名声を聞き知り、日本の芸能事務所を知っているので、ぜひイヴァナをそこに紹介したい、と持ちかけていた、ということだった。

何というタイミング!

聞くと、その女性はジャーナリストということで、イヴァナの中で何となく違和感があったとのことだった。

「自分のことを適切に紹介するのは、ジャーナリストという人種ではなく、演技を知っている人間でなくてはならない」

イヴァナの中でそういうレーダーが働いたらしかった。

そして、同じタイミングで僕のメールが届いた時、イヴァナの中で、

「これは何かのサインだ!」

そう思った、ということだった。

イヴァナとヤンを目の前にし、僕はイヴァナの本を読んで感銘を受けたこと、そして、イヴァナのことを日本に紹介したい、 という想いを伝えた。

前にも言ったが、僕にはもともと世界クラスの演技講師から演技を学びたい、という想いがあった。LAでも、勧められた何人かの演技コーチの 授業を受けにも行っていた。

イヴァナの所にもそういうアプローチもできたはずだった。

だが、僕がラッキーだったのは、この時点で起業しており、違うアプローチが考えられたことだった。

また、泉原豊氏、高橋一哲氏と共に発足させた ジャパウッドというプロジェクトで、イヴァナを日本に紹介することも念頭にあった。

イヴァナの生徒になる、という立場を最初からとらなかったことが、この時に関しては、功を奏したのだ。

そして、このレストランでの会話により、僕と妹は、イヴァナから、「ジャーナリストよりも、あなた達の方がピンと来るわ!」という言葉をもらうことが出来たのである。

この日が、イヴァナ初来日に向けての記念すべき第一歩となった。

そして、2019年で5年目になるイヴァナとの信頼関係が幕を開けた、僕にとっては、まさしく「人生の岐路」となる決定的瞬間となったのだ。    

さて、次回は、イヴァナのクラスを初めて見学した時のこと、そして初めてイヴァナ・チャバックの直接指導を受けた時の話を。お楽しみに