出版が決まった!

さっそくロスに連絡をとってイヴァナとヤンにそのことを伝えると、とても喜んでくれた。

条件をクリアしたので、日本に来てください!

僕は堂々とそのリクエストをすることができ、イヴァナはそれを快諾してくれた。

イヴァナを日本に呼ぶことがついに現実的なことになってきた。

いま振り返ると、これは思ったよりも大きな達成だったと思う。

後からわかったことだが、イヴァナ本人も、外国語の翻訳本を出すことが簡単だとは思っていなかった。可能性があると思ったら、実現するまでは、できる限り窓口は広く開けているのだ。

だから、僕に任せてはくれたものの実現の可能性が全く見えなければ、いつでも次の候補者を探す準備はしていただろう。

そのことがわかったのは、中国語版が出る時にイヴァナ本人から話を聞いたからだ。

中国語版が出たのは、日本語版が出た数年後だが、この時のイヴァナの動きは非常に興味深かった。

中国語版に関しては、幾つかのルートから実現する可能性があった。

だが、中国は政治的な意図が強く、どう転ぶかわからない。それを理解していたイヴァナは決して一つのルートだけに頼っていなかった。いろいろな可能性を同時進行させながら、最終的に出ればいい、というアプローチだった。

結果的に、中国語版は簡易中国語と標準語の2つのバージョンが出版されている。

中国語版は出ているが、複数の候補があった韓国語版は今だに出ていない。翻訳本を出すということは国により色んな事情も絡んでくるし、そんな簡単なことではないのだ。

思い返せば、日本語版だって僕がきちんと翻訳作業した上で、出版社を決めきれていなければ、どうなっていたか本当はわからなかったのだ。

結果オーライだが、今思えば「知らぬが仏」。実はギリギリの崖っぷちを僕は全力で駆け抜けていたことになる。イヴァナからその当時の状況を聞かされて、初めて冷や汗が出る思いをした。

火事場の馬鹿力とは、本当だと思う。

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予期せぬ展開・・・

さて、日本語版の出版は決まったが、実際に本が本屋に並ぶまでには、どのくらい時間がかかるのか?

原稿はもうあるのだから、数ヶ月で出せるのでは、と思っていたのだが、出版の世界はそんなに甘くはなかった。

ここからの作業として、翻訳の疑問点をいくつもイヴァナと確認する必要があった。その上で何度も校正を行い、また、装丁を決め、注釈なども挿入し、表紙も決めるなどしていると、ゆうに半年以上はかかる、ということだった。

ここでも時間の読みが甘かったわけだ。

出版は2015年の1月の時点で決まっていたが、この時点で、イヴァナの初来日の日程をこの年の後半、9月以降に設定し直す必要があった。

イヴァナの初来日は、出版記念のイベントとして
やるのがベストだろう、と思ったのだ。

つまり、イヴァナ初来日のイベントを
開催するまでは、結果、半年以上の時間ができたわけだ。

その時、僕の頭の中に、イヴァナとヤンから話を聞いていた「ティーチャー・トレーニング」を受けることが頭に浮かんだ。

イヴァナは、現在、世界各国に彼女のテクニックの認定講師を育成しており、ロスのスタジオで2ヶ月間のトレーニングを受け、最終試験に合格すると、その資格が得られる。

このトレーニングを受ければ、イヴァナのテクニックをじっくり学ぶことができるし、しかも自分が演技をすることもカリキュラムには組み込まれている。

イヴァナの指導も同時に受けられるなら、この機会を逃す手はない。

僕はこれをぜひ受けたいと思った。

正直に言って、この時、教えたい、
という思いはほぼゼロだった。

僕の中には、教えるということに対してなぜか恐怖心があり、自分が「ティーチャー」になれる、という感覚は全くなかった。

どちらかというと俳優として学びたいという想いが強かった。

また、僕の中では、イヴァナ来日時に自分が通訳をやることも想定していた事が大きかった。通訳を正確に行うためにも、もっとイヴァナのテクニックを深く知り、よい仕事をしたい、と思ったのだ。

イヴァナ来日の際、僕的には、そこが一番貢献できるポイントだと思っていたので、その大役を他人に譲りたくない、と強く感じていた。

という訳で僕は、イヴァナにティーチャー・トレーニングを受けたい、という事を申し出たところ、快諾を得ることができた。

ティーチャー・トレーニングを受ける日程は、2015年の2月から4月に決まった。

さて、ここまでは紆余曲折はありながらも比較的スムーズだったが、個人的に一つ、大きな問題が浮上した。

僕の母が、大腸がんを宣告されたのだ。

2ヶ月間も日本を離れていいのか?

僕はそのジレンマに、苦しむことになった・・・