バロック音楽「アルビノーニのアダージョ ト短調」をご存知でしようか?
有名な映画にも数多く使われてきた曲なので聞けばわかると思いますが、アルビノーニは、バッハと同時代に活躍したヴェネツィア共和国(現在のイタリア)のバロック音楽の作曲家、トマゾ・アルビノーニの名前です。
アダージョは、音楽のテンポを表す速度記号「ゆるやかに」の意味。
つまり「アルビノーニが作曲したアダージョテンポのト短調曲」というのがそのタイトルの意味。
ちなみに音楽の速度記号は、学校の音楽の時間で習ったのではないかと思います。参考までにいくつかあげておくと以下のような記号です。ああ、これね!と思っていただけると幸いです。
表記 | 読み | 意味 |
Grave | グラーヴェ | 重々しく |
Largo | ラルゴ | 幅広くゆるやかに |
Adagio | アダージョ | ゆるやかに |
Lento | レント | のろく |
Andante | アンダンテ | 歩くような速さで |
Moderato | モデラート | 中くらいの速さで |
Allegro | アレグロ | 快速陽気に |
Vivace | ヴィヴァーチェ | 活発に |
Vivo | ヴィーヴォ | 活発に |
Presto | プレスト | 急速に |
Prestissimo | プレスティッシモ | 非常にプレストに |
実際はもっと細かい設定がありますが、アダージョはかなりスローテンポな楽曲で、欧米では「葬儀の際」に最も使われている曲と言われれば、納得できるのではないでしょうか。
バロック音楽としては非常に有名な名曲中の名曲で、今までにも数々の映画音楽としても採用されてきました。
「アルビノーニのアダージョ ト短調」が使われた映画たち
いずれ劣らぬ作家性の強い監督の作品で、この曲が使われてきたのがわかりますね。
そして、今回取り上げる映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」では、この「アルビノーニのアダージョ ト短調」という9分弱もある音楽が、実は主人公の心象を表現するために丸々使われているというのが特筆すべきところではないかと思います。
今回は映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を題材にして、この「アルビノーニのアダージョ」との深すぎる因縁物語についても色々と考察してみたいと思います。
映画って面白いです、ほんと。
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、2016年に全米公開された映画で、第89回アカデミー賞ではケイシー・アフレックが主演男優賞、監督も務めたケネス・ロナーガンが脚本賞を受賞している作品です。
いわゆる次々とど派手な展開のあるアメリカ映画的娯楽作品の要素は一切なく、むしろ地味な作品といってもいいのですが、その内容はとても骨太で、心にどかんと大きな爆弾を投げつけるかのようなメッセージを感じる重厚な人間ドラマです。
物語の舞台は、アメリカ・マサチューセッツ州。
便利屋として生計を立てている主人公のリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)が、ある冬の日、兄に関しての一本の電話を受けたことでストーリーは大きく舵を切り、隠された人間模様を次第に浮かび上がらせていきます。
兄の住む街は、リーの生まれ故郷でもあり、かつて長らく住んでいたマンチェスター。リーが今住んでいるボストンからは、車で1時間半くらいの距離にあります。
この「車で1時間半くらいの距離」という「いつでも行けるけど、少し遠い」という距離感は、主人公リーの心情を見事に表している絶妙の距離だということがわかってくると胸が締め付けられる思いになります。
マンチェスター・バイ・ザ・シーは海に面した風光明媚な街ですが、リーにはこの街に帰りたくない深い理由がありました。ですが、この街に舞い戻らなくてはならないのっぴきならない理由。
それは兄の突然の訃報だったのです。
心臓発作でなくなった兄。彼には、16歳のパトリックという息子がおり、リーは兄の遺言により、思いがけずパトリックの後見人として選ばれてしまいます。
人との付き合いが苦手で、いつも一定の距離を取り続けようとする現在のリーと、マンチェスター・バイ・ザ・シーに住んでいた過去のリーの物語という二重構造でストーリーは展開し、物語半ばでリーの「あまりにも重すぎる罪」を観客は見せつけられることになります。
リーは果たして、マンチェスター・バイ・ザ・シーで起きた、あまりにも凄惨な過去の罪に真正面から向かい合うことができるのか?
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、そんな一人の男が再生に向かう道筋を、奇をてらうことなく淡々と紡いでいきます。
是非、一度ご覧になってください。
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のスタッフ&キャスト
制作スタッフ
監督 | ケネス・ロナーガン |
脚本 | ケネス・ロナーガン |
製作 | マット・デイモン |
キンバリー・スチュワード | |
クリス・ムーア | |
ローレン・ベック | |
ケヴィン・J・ウォルシュ | |
製作総指揮 | ジョシュ・ゴッドフリー |
ジョン・クラシンスキー | |
デクラン・ボールドウィン | |
ビル・ミリオーレ | |
音楽 | レスリー・バーバー |
撮影 | ジョディ・リー・ライプス |
編集 | ジェニファー・レイム |
出演キャスト
役名 | 俳優名 |
リー・チャンドラー | ケイシー・アフレック |
ランディ | ミシェル・ウィリアムズ |
ジョー・チャンドラー | カイル・チャンドラー |
パトリック・チャンドラー | ルーカス・ヘッジズ |
エリーズ・チャンドラー | グレッチェン・モル |
ジョージ | C・J・ウィルソン |
口論する通行人 | ケネス・ロナーガン |
アルビノーニのアダージョと映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の深すぎる因縁
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のテーマは、端的に言うと
「生と死」の物語。
自らの過失で人の命を奪い死に追いやった主人公と、それでも生きている今の主人公という、対立する深い心の葛藤を描いています。
その際、脚本で採用した現在と過去を交互に見せる「二重構造」がとてもよく機能して、生きること、死ぬこと、人間誰しもが感じるそんな人生の本質的な問いその裏表を深くえぐって見せた傑作だと思います。
実はそこにこの映画の主演を務めたケイシー・アフレックの物語も加味して考えるともっと面白いし、そこに「アルビノーニのアダージョ」も加味すると本当に奇跡の作品ではないのかとさえ思ってしまいます。
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の二重構造
ケイシー・アフレックは、言わずと知れた俳優で映画監督でもあるベン・アフレックの実弟。
この映画の主演は、兄・ベン・アフレックの幼い頃からの親友で、映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の出資者(製作)でもある俳優のマット・デイモンとの関係から生まれた作品とも言えるのをご存知でしょうか?
実は映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、2010年に全米公開され猛烈な批判を受けたモキュメンタリー映画(フェイクドキュメンタリー)「容疑者、ホアキン・フェニックス」(原題:I’m Still Here)が深く関係しています。
モキュメンタリー映画「容疑者、ホアキン・フェニックス」はその邦題のとおり、実在する俳優、今話題沸騰中の「ジョーカー」でも有名なホアキン・フェニックスが主演した作品なんですが、その猛烈な批判を受けたモキュメンタリー作品を監督したのが、ケイシー・アフレックなんです。
内容は、簡単に言えば「超壮大なドッキリ」
実在する俳優のホアキン・フェニックスが、突如として「俳優を引退してラップ歌手に転向する」と発表することでモキュメンタリー映画は始まっています。
ホアキン・フェニックスが繰り広げる破天荒で出鱈目な奇行を次々に撮影し、それを演技ではなく事実だと思わせるのは勿論のこと、マスコミや芸能界の同業者たちをも巻き込んで、世間の人々がどんなリアクションをするのかを捉えるのかが、この作品の本当の狙いだったらしいです。
驚くことなかれ、その撮影期間は、約2年間。
ケイシー・アフレックとホアキン・フェニックスは数億の私財を投じ、ホアキン・フェニックスは2年間の仕事をキャンセルし、ケイシー・アフレック監督のもと「超壮大なドッキリ」を完成させました。
ただ、このドキュメンタリー映画が、全くのウソ(作り物)だと世間に公表するやいなや、ホアキンと監督であったケイシーは猛烈な批判を受けることになります。
なにしろ、ホアキン・フェニックスの兄は、麻薬過剰摂取(drug overdose)で命を落とした故リバー・フェニックス。ホアキンもまた同じような道を辿るのではないか、と世間の人々のみならず業界関係者たちも心配していたんだそうです。
そして、その後の世間のリアクションも面白く、
ホアキンはデイヴィット・レターマンのTV番組「レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン」に出演した時のアドリブ演技が逆に評価されるのとは相反して、
監督を務めたケイシー・アフレックへの批判は止まず、ケイシーはしばらく業界の冷飯を食う羽目になるのです。
そして、その映画から6年後、そのケイシー・アフレックが映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」でアカデミー賞主演男優賞を取るのだから、事実は小説とは奇なりです。
この作品の主演に抜擢されたのは、先述した通り、兄・ベン・アフレックの親友で、映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の出資者(製作)である俳優のマット・デイモンからのオファー。
兄のベン・アフレックから弟にチャンスを貰えないだろうか?的な相談があり、その頃くすぶっていたケイシー・アフレックを主演に起用したそんな裏事情があったようです。
そしてここが映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の主人公とも深くリンクしてくるところなんですが、まさに当時のケイシー・アフレックは、自らの過去の過ち(超壮大なドッキリ映画製作)が原因で、映画業界や世間から見放されている(ほとんど死んでいる)状況。
そして、そこから家族と家族同然の友人の手を借りて自分自身と再度向き合い、見事復活してオスカーを獲得したわけです。
こう考えると、映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」の主人公リーは、まさに当時のケイシー・アフレックそのもの、と言っても大袈裟ではないようにも思えます。
映画の主人公とそれを演じたケイシー・アフレックという俳優の実生活の二重構造もまた、この映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」には深く投影されていると個人的には思っています。
だって、あの演技。本当に素晴らしかったですから。
「アルビノーニのアダージョ ト短調」に隠された二重構造
さて、もう一つ映画を楽しむための二重構造は、冒頭にも書いた映画で採用されている「アルビノーニのアダージョ ト短調」というバロック音楽に隠された秘密について。
実は今でこそ名曲バロック音楽として認識されている「アルビノーニのアダージョ」ですが、実はこの作品、アルビノーニの作品ではないことがわかっています。
え?じゃあ、誰の作品なの?
そう思う方もいるかも知れませんが、実はイタリアの音楽学者、レモ・ジャゾットの創作作品。
レモ・ジャゾットは、アルビノーニの作品目録を作成したこと名高い音楽学者なんですが、彼自身の自筆譜の断片も見つかり、現在では完全なレモ・ジャゾット作品だということが判明しています。
つまり、自分で作ったバロック音楽作品なのに、アルビノーニの名前を冠して彼の作品であると発表し、世間が気づくまでそれをひた隠しにしてきたことがわかっているんです。
レモ・ジャゾットは亡くなる数年前に、次のようなコメントを残しています。
私は、アルビノーニを忘却の淵から救いたかった。アルビノーニが書いた音楽を実際に聴けば、彼への関心が高まるだろうと思い、この曲を作りました。それは、私自身の純粋な楽しみでもあったのです
レモ・ジャゾット
どうしてそんなことをしたのか真意はわかりかねますが、この曲が発表された当時(楽譜の出版は1958年)は、空前のバロック音楽ブーム。
自分の書いた曲を歴史の1ページに加えるためにアルビノーニの名前を拝借したと仮定してみると、レモ・ジャゾットもかつては作曲家として身を立てることを目指した人間なのではないかと容易に想像できます。
アルビノーニの曲だと公表しても人々が疑問に思わないほどの遜色がない出来の作品だったのですから、レモ・ジャゾットも相当な作曲の素養を持ち合わせていたのかな、と思います。
そう考えると、過去に封印した(死んだ)「作曲家としての自分自身」を、世間に認めさせたい(生き返らせた。認めさせたい)
そんな人間の業というか、深層心理に隠されてきた複雑で言葉では尽くしがたい感情が浮かび上がってくるような気がします。
そして、今やその「アルビノーニのアダージョ ト短調」が、多くの葬儀の際に使われる定番のバロック曲になったのも、この事例を元に考えると決して偶然ではないように思いますし、その曲が映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」で主人公リーの心情を能弁に語る音楽として採用されたのも、また必然だったのではないかとさえ思えるのです。
面白くないですか、これ?
まとめ
さて、これまで映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と「アルビノーニのアダージョ ト短調」に見る隠された符号というようなテーマで書いてきましたが、どんな感想を持ったでしょうか?
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は、表面的には本当に静謐で淡々とした日常を切り取った作品です。
けれど一方で、それぞれの登場人物の内面にいざ目を向けてみると、豪雨の後の濁流が渦巻くような人間の激情を描き出しているのではないかと思うのです。
全編にわたり音楽を多用せず、淡々と、ただ淡々と描かれる映画的日常の風景は、ともすると一部の観客には「退屈な作品」に映るかも知れませんが、各シーンがそのシーンであるということの必然性を、監督をはじめ全てのスタッフが心血注いで考え、試行錯誤を繰り返して出来た結晶だと感じさせる力強さもまたこの作品には感じます。
オスカー俳優となったケイシー・アフレックを筆頭に、登場する俳優陣すべての演技が本当に素晴らしい演技で、映画世界のリアリティーに観客をすんなり巻き込んでいるのも素晴らしいの一言ですね。
そして「死」というものが、決して劇的でドラマティックな出来事ではなく、私たちの日常にもしっかり寄り添って存在していることも、この映画は教えてくれているような気がします。
さて、最後にもう一つ、サウンドトラックの音楽についても少し。
この映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」には、賛美歌(Chorale)のように「アルビノーニのアダージョ」をアレンジにした楽曲が、サウンドトラックに収録されていますが、本当に緻密な計算があるように思います。
映画の主人公・リーが失意の中にいるシーンではアカペラであった賛美歌は、彼自身の心がほどけていく後半に使用されているChoraleでは弦楽器も加わり、より重層的な音楽構造になっています。
やはり、人が生きるということは、多くの違う楽器が曲を奏でるように、それぞれの違いを認め合い互いに表現して生きること、そんな深いメッセージが込められているようにも感じますし、音楽での感情表現も、この映画の注目してほしい点ですね。
是非、主人公たちの感情を感じながら、聴き比べてみてほしいと思います。
記事を書いていると、本当にボストンからほど近い「マンチェスター・バイ・ザ・シー」に行きたくなりました。ほんと!
アメリカ東海岸にいくような機会があれば、是非、あなたもマンチェスター・バイ・ザ・シー訪ねてみて欲しいと思います。
おまけで、これまでにマンチェスター・バイ・ザ・シーがロケ地として登場した映画をあげておきますので、よかったら見てみてください。映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はホント必見、超おすすめの一本です。
マンチェスター・バイ・ザ・シーの登場する映画
邦題 | 原題 | 監督 | 出演者 |
愛しのジュニー・ムーン (1970) | TELL ME THAT YOU LOVE ME, JUNIE MOON | オットー・プレミンジャー | ライザ・ミネリ |
ケン・ハワード | |||
ロバート・ムーア | |||
恋する人魚たち (1990) | Mermaids | リチャード・ベンジャミン | シェール |
ウィノナ・ライダー | |||
ボブ・ホスキンス | |||
危険な遊び (1993) | The Good Son | ジョセフ・ルーベン | マコーレー・カルキン |
イライジャ・ウッド | |||
ラブレター/誰かが私に恋してる? (1999) | THE LOVE LETTER | ピーター・チャン | ケイト・キャプショー |
グロリア・スチュアート | |||
トム・セレック | |||
ブライス・ダナー | |||
State and Main (2000) | State and Main | デビッド・マメット | ウイリアム・H・マシー |
サラ・ジェシカ・パーカー | |||
ビッグ・マネー (2001) | WHAT’S THE WORST THAT COULD HAPPEN? | サム・ワイズマン | マーティン・ローレンス |
ダニー・デビート | |||
あなたは私の婿になる (2009) | The Proposal | アン・フレッチャー | サンドラ・ブロック |
ライアン・レイノルズ | |||
復讐捜査線 (2010) | Edge of Darkness | マーティン・キャンベル | メル・ギブソン |
レイ・ウィンストン | |||
ダニー・ヒューストン | |||
ボヤナ・ノヴァコヴィッチ | |||
ショーン・ロバーツ |