恋愛に関しての考え方で、男と女の違いって感じますか?
こんな恋愛観に関する質問をしたら、夜を通して熱っぽく男と女の違いを語ってくれるそんな友達が、誰しも浮かぶんではないでしょうか?いや、それともそれはあなたでしょうか?
ま、前置きはさておき、今回はこんな永遠のテーマ「男と女の恋愛に対する考え方の違い」を際立たせたとっても面白い映画「500日のサマー」(500 Days of Summer)について書きたいと思います。
映画「500日のサマー」
2009年に全米公開された映画「500日のサマー」は、ロサンゼルスを舞台にした恋愛青春映画。
グリーティングカード会社で働く冴えない青年・主人公のトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が、職場に社長秘書としてやってきたサマー(ズーイー・デシャネル)という女性に一目惚れしてしまうことから物語は始まります。
サマーから掛けられた些細な言葉に、トムは過剰に反応して一方的に電撃的な恋に落ちてしまうわけです。そしてそこから二人は徐々に親密になって色んなエピソードを重ねていくのですが、結局はサマーから突然の別れを切り出されてしまいます。
心の痛手を負った失恋と大きな喪失感。
そんなトムがサマーに恋に落ちてから、新たな次の恋へと舵を切るまでのトムの500日間を描いた青春恋愛劇。それが映画「500日のサマー」のごく簡単なあらすじです。
男と女の恋愛に対する考え方の違いを際立たせた面白いシーンがいっぱいある映画なので、是非、一度ご覧になってみてください。
ちなみにこの映画の原案は、脚本を担当しているスコット・ノイスタッターのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでの実際のロマンスに基づいて作られているんだとか。
じゃあ、トムの恋愛観は、脚本家の恋愛観なのかなあ。そんな映画の裏側も合わせて見ていただくと、より楽しめるかも知れませんね。
映画「500日のサマー」のスタッフ&キャスト
制作スタッフ
監督 | マーク・ウェブ |
脚本 | スコット・ノイスタッター |
マイケル・H・ウェバー | |
製作 | マーク・ウォーターズ |
ジェエシカ・タッキンスキー | |
メイソン・ノヴィック | |
スティーヴン・J・ウルフ | |
音楽 | マイケル・ダナ |
撮影 | エリック・スティールバーグ |
編集 | アラン・エドワード・ベル |
ナレーター | リチャード・マクゴナガル |
出演キャスト
役名 | 俳優名 |
トム・ハンセン | ジョセフ・ゴードン=レヴィット |
サマー・フィン | ズーイー・デシャネル |
ヴァンス | クラーク・グレッグ |
オータム | ミンカ・ケリー |
マッケンジー | ジェフリー・エアンド |
ポール | マシュー・グレイ・ギュブラー |
レイチェル・ハンセン | クロエ・グレース・モレッツ |
ナレーション | リチャード・マクゴナガル |
男と女の違い・恋愛の考え方の違いが生んだ名作
恋愛の考え方で、男と女の違いってなんでしょう?
ま、色んな切り口で様々な意見があるとは思いますが、例えば、失恋に関して言えばわかりやすいかも知れません。
男はずるずるといつまでも別れた彼女をひきずり、いつまでも彼女が好きで忘れらない一方、女の人は終わったら潔くペロッと忘れてさっさと次の恋へ行く。
恋愛に関しての男と女の違いを考えていて、真っ先にこのことが思い浮かびました。それに、本当にこれ、よく聞く話ですなんですよ(女性には理解できないないでしょうか^^)
で、この映画「500日のサマー」の主人公トムも、まさにそういう典型的なダメダメなタイプで、いわば多くの男が持っている根本的な性質みたいなものを身にまとった「世の男たちの代表的な主人公」
しかも、そのトムを小悪魔的なサマーが翻弄してぶんぶん振り回し、素直なトムはサマーにぶるんぶるん振り回されるわけです。
この映画はトム目線で描かれているので、まさにトムに感情移入して見た男性も多かったのではないでしょうか。
これは、たまったもんじゃない!
なんだ、この女は!
トムを振り回すサマーへの憤りを是非感じてトムを応援してやってほしい!
そんな男たちの恋や女性に対する熱い、いや熱すぎて、偏りすぎて、女性にとっては面倒くさい恋愛観を、実にわかりやすく描いていることに個人的には好感が持てました。
ただ一見、一方的にトムを振り回しているように見えるサマーの内面も深く考えさせられる映画でしたね。
でもまあ、ほんと、主人公のトムは、いじらしいほど単純でかわいい「バカ」なんです。断っておきますが、ここでいう「バカ」は、愛情たっぷりの「褒め言葉」ですのでお間違えないように。
なので、彼は自分が「いいな〜」と好意を持った女性との共通点を見つけると、それを全力で「運命の出会い」と勘違いする、非常に単純で夢見がちで無垢な青年(男には、ありがちですが・・・)
サマーを運命の人だと思ったのも、偶然エレベーターで一緒になった時、トムのヘッドホンから漏れてた音楽がサマーも好きだということを知ったから。
ま、同じ音楽を好きだということは、特別でも何でもなく日常にもままあることだけど、それをわざわざ言ってきたサマーの行動とその容姿や雰囲気にいきなりドキュンしちゃうわけです。
Holy Shit !!
で、トムには自分の確固たる信念があって、運命の女性に出会うことがイコール「幸せ」で、そういう運命の人と出会わなければ、幸せになれないと思い込んでいる。この彼の信念、愛への憧憬が、トムという男を突き動かす全てのガソリンになっているわけです。
一方の恋の相手になるサマーは対照的。
両親が離婚したのがきっかけで人を愛することに対して懐疑的に育ち、トムに比べてみると非常に愛に対しては現実主義者です。
今現在、愛があって幸せでも、そんなものは永遠に続く筈がない、必ず将来は破綻するものだと思い込んでいる節がある。
だってうちの両親がそうだもの。
そんな彼女の信念も、これまた深く彼女の性格や振る舞いに反映されています。
「運命の人なんていない」
「人と真剣に付き合うつもりもない」
「ライトな関係でいたいの」
「愛は絵空事よ」
彼女の台詞や行動を紐解くと、彼女は心の中では愛を求めているのに、どこか一歩を踏み出す勇気がない。そんな風にも見える気がしますね。
この全く相容れない、一見正反対の信念を持つの二人の恋物語。
けど、その本質は、実は同じなんじゃないでしょうか。二人とも愛に飢えているし、やはり「本物の愛」を求めているのが、意地らしいほどわかるからです。
そのプロセスは是非とも映画で確認してみてくださいね。二人はサマーが電撃結婚したことで結局は別れてしまうんだけど、サマーは結婚した夫を「運命の人だ」とトムに言いました。
まだサマーのことが大好きな未練たらたらのトムにとっては
「はあ?オメエなに言ってんの!?」
ってことだろうけど、サマーはトムと恋をしたことで、そういう言葉や考え方を持てたのだと個人的には思います。残念だけど、トムはサマーにとって「運命の人」ではなく、「恋のセラピスト」だったのかなあ。
映画の最後には、面接の待合室のソファーでオータムという女性に出会うトム。
トムの新しい500日が始まる予感を持ってこの映画は終わる。いや、新しい500日なのか、それとも200日なのか、1000なのか・・・。
それはオータムが、トムにとって「運命の人」かどうかに掛かっているような気がします。